教養として身につけたいテクノロジー/玉城絵美【読書ログ・感想】
AIとかビッグデータ、ARやVRとかもちろん聞いたことがある。
人に説明できますか、と言われると「えっと、、」ってなりながらふわっとして説明ができるかできないか。
今はAIスピーカーが欲しいなと思ってネットで調べたりしてる。
まだ使ったことはない。
Sakuraの事前知識はだいたいこんな感じです。
Sakuraは30代です。
ポケベルは使ったことがなくて、中学高校の頃はケータイ電話をぱかぱかしてた。
大学生か社会人か、ぐらいでスマホが出てきたかな。
これまでは生活と共にそういった機器があって。
特に意識しなくてもそういった機器を使いこなしてきた。
でもこれから10年後は?
ついていけるのか?
年をとると新しいことを覚えるのが大変になるというし、実際に両親や一緒に働くスタッフ、あるいは担当する患者さんをみていても、それはきっと正しいのだろうと思う(もちろん個人差はあれど)。
というわけでそういった「テクノロジー」というものに置いて行かれないためにも、少しずつ勉強していこうと思い手に取った本がこれです。
この本、英語タイトルがかっこいいです。
Technologies you should know to create future
かっこいい・・・
著者の玉城先生は早稲田大学創造理工学部研究科准教授で著者略歴には様々な受賞歴が華々しく載っています。
「コンピュータとヒトの間で身体感覚を伝達するHCI(Human-Computer Interaction)研究とその普及を目指している」先生だそうです。
本書の目次はこんな感じです。
この本を読むかどうか迷っている人は、あとがきをパラパラとめくってみることをお勧めします。
各チャプターが3行ぐらいずつにまとめられています。
冒頭に触れたような、AIやらVRというものをなんとなくわかっているけれど人にはちゃんと説明できないぐらいの人にとって、ちょうどさらさらと読めて、新しく得る知識もあるといったレベル感です。
だいたいわかってるよ、という人はまえがきにもありますが、太字になっているところだけを読めば効率よく読める本になっています。
ビッグデータ?なにそれ聞いたことない、みたいな人は腰をすえてゆっくりじっくり読むと、いま現時点でできていること、近い将来できそうなこと、いつかこんなことができたら、といったことを学ぶことができます。
大事なのは何より「インターフェース」
この本で最初に語られているのは「インターフェース」について。
インターフェースとは人と機械の間にある構造のこと。
例えばパソコンに何か計算させたいときの入力フォームがインターフェース。
人間の言葉を機械にわかるように翻訳し、そして機械の計算結果を人間にわかるように返してくれるもの。
技術の発展を担う中心的な役割がこの「インターフェース」だというのがこの本の一貫した論理です。
確かに技術がどんどん進んだって、それを一部の人しか利用できないのでは社会の変化にはならない。
だれでも使えるものになって初めて、社会がかわる。
これまで少なくともわたしはあまり着目したことがなかったけれど、説明されて初めてすとんと落ちた、いろんなことが理解しやすくなったと感じました。
インターフェースにどんな情報を入力するかというのは自由である。
これまで人との共有が難しかった感覚だって共有が可能になる。
例えば介護の場面で、
被介護者の中には、排便感覚が調整できなかったり、便意を介護者に伝えられなかったりするケースもある。そうしたときに、これまではオムツが用いられてきたが、センサーで身体の情報を検出してくれれば、「今トイレに行くべき」「●分後にトイレに行く」といった情報がわかる。
これってすごく便利だし、ぜひ実現されてほしい。
一般的なイメージでは認知症が進んでしまい尿意などがわからずオムツに頼ることになってしまう人、が想像されるかもしれないけれど。
認知機能が正常だっていろんな病気で尿意や便意がわからなくなってしまっている人がたくさんいる。
それで膀胱内にずっと尿がたまってしまうと感染症を発症してしまう。
そんなときにこの仕組みがあればどんなに便利か。
生活の変化
テクノロジーとインターフェースの発展により生活がどう変わるのか。
顕著に起こりうる変化としては、場所と身体の制約からの解放だ。
今でもすでに遠隔操作の技術はいくつかの分野で取り入れられている。
医療の分野ではダヴィンチといって患者さんに向かってではなく機械に向かって操作することで手術ができる技術がすでに導入されている。
ARやVRといった技術を用いることで、家にいながらにして会社やあるいは海外で仕事ができるようになる。
自分の身体という物理的な制約がなくなるのだ。
個人的な興味としては、例えば人間の三大欲求とかはどうなるのかなと。
食べる、排せつする、セックスをする。
この根源的ともいえる行動はどうなっていくのだろう。
もちろん、すべてを機械にやってもらう必要はないわけで、楽しいと思うことは自分でやればいい。
それでも、例えば今でも有名人とかで食事は少なくしてほぼサプリメントで補っているような人もいる。
AIが各個人に必要な栄養量を決めて調合するぐらいはそんなに難しくなさそう。
あるいは子孫を残すこと。
今行われているのは、パートナーとの間で妊娠できない場合に不妊治療として、とってきた卵子と精子を体外で受精させるという技術。
倫理的なことさえ無視すれば、様々な人の卵子と精子をバンクとして保存して、遺伝子情報から例えば病気になりにくい組み合わせを計算して受精させるとかは難しくないだろう。
技術が進歩したところで、それを利用するかどうかはまた別の話。
そういったところがどのように変わっていくのかを想像するのは楽しい。
今後どういった人が活躍していけるのか
テクノロジーの発展によって起こる社会の変化のひとつとして教育が取り上げられています。
塾とかだと想像しやすいですよね。
今だってすでに、全国どこにいても同じような授業を受けることができるようになっているところがあります。
動画を見るよりも実際の授業を受けた方が、という声もあるだろうけれど、そこのリアリティは技術でどうにでもなる部分。
そうやって受けられる教育に場所や時間といった制約がなくなってくる。
そういう時代に、ではどういった目標をもち、どういった技術・能力を身につけていけばいいのだろうか。
本書で挙げられているのが、「ジェネラリスト」
ここで言うジェネラリストとは、(中略)複数の専門分野を横断的に理解し、統括判断ができる人を指す。
このことを別の言い方でも繰り返している。
今後は、一つ二つ専門性はありながらも、他の分野に関しても多少専門性を持っている円錐型の人材が今後求められてくるだろう。
細かい技術とか専門性の高い作業というのは徐々にロボット、AIにとって代わられてしまう可能性がある。
だから、そういった技術を取りまとめて、プロデュースしていける人が活躍する世界がくるのでしょう。
正直自分は、自分の専門性を高めることで今はいっぱいっぱいだけれど、5年後、10年後を見据えるのであればそれだけでは戦えない。
例えば医学の世界でも最近やたらとジェネラリストの育成ということが言われていて、自分の専門外の患者さんのことも診察できるような医師を育成するため、制度の改革がどんどん行われている。
でもたぶんそういうことではなくて、身につけなければならないのは専門外の医学的知識というよりは、例えば本書に書かれているような最低限のテクノロジーの知識であり、その使い方なのだろう。
どれだけ円錐の裾野を広げられるか。
おわりに
最後の方にこう書かれています。
いつか私たちの思考や私たちの行動基準をAIが解明するのではないだろうか。すると、AIが人間自体を再構成することができるようになる。その解明し終わったときが、AIの最終的なシンギュラリティになる。
そしてそんな時が来るまでに人類がこのままであったならば、
生物学的な意義はもちろんあるが、人類の知性的な意味での意義は終了する。
そんな時がいつ来るのか、本書では少なくとも10年以上先だろうと書かれています。
10年?
あっという間に感じます。
わたしはこういう新しい世界を創っていく側にはなれないけれど、せめて、便利なものは学んで取り入れて、自分の生活・仕事などをよりよくするために活かしていけるようにはなりたい。
そのためにも、勉強は続けなければなと思います。